声を求めることについて

知らない誰かの声、一瞬で消える声

流れるように、身体をすり抜けるように

染み入るように、無為に聴けるように、

匿名の声をたくさん集めています


誰でも自由に好きな時に

ここでは誰かの声に耳をすますことができます




「社会的現実はポリフォニー的(多声的)である。つまり、それは多くの〈声〉によって語られる。誰の声が正しく誰の声が間違っているかを決めることはできない。〈すべての声〉が重要であり、新たな意味を生み出すことにかかわっているのだ。それらは等しく価値がある。」(Seikkula&Arnkil)


なぜ『声』を集めているのですか?


子供の頃から「集めること」が好きでした


初めての蒐集物は、当時住んでいた家の周囲にある砂利道で

気に入った石ころを探し集めることでした

それを並べて遊んでいました

(まだ自由に歩けない頃です)


少年の頃は、虫や魚などを集めました


大人になってからは

古物や古本を集めるのが趣味でした

(いつか手放さなくてはならない、必ずパッと亡くなる自分、そんなことを想うと・・)物理的にも心理的にも何かを所有していくことが難しくなりました


なにかを集めだすと

「集めること」自体が目的になってくるような気がします


現代では組織、個人、行為などに

存在意義、理念、使命、理由などを

意味を付けることが求められている

それらを強く信じること、疑わずに演じきることが求められている


企業理念やSNSの自己アピールなどでも

大そうな理念を掲げて競い合っている

全部が似ている


流行りがあり、他者の目があり、作為がある

表面的なきれいごとばかりがあふれている


理由や意味が必要なのでしょうか

本当にあるのでしょうか


大げさに言えば

それらの大半は虚構(嘘)である気がします




なるべく『無為』でありたい

(『無為でありたい』と思った時点で、

既に無為ではない、おそらく逃れられない) 



聴くこと

沈黙すること

言葉の意味や内容ではなくて

声と音に耳を澄ます


音は、只の物理現象(波長)

嘘ではないような

それでは感情はどこから生れるのでしょうか

よくする質問


・はじめての記憶、景色、思い出

・はじめての遊び

・ふしぎな体験

・すきなこと、すきなものについて

など


ルールがあるわけではないです

台本が苦手です




※なぜ匿名性にこだわるのか


年齢、性別、所属、属性、

それらから声を切り離したい

誰もが平等で優越もなく自由に発する声

なるべく普遍的な声であるように

インタビューに協力して頂ける方を募集しています。


問い合わせ

yasumizo(アットマーク)hotmail.com